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2022.02.11

理想の上司!?

皆さん、こんばんは。営業スタッフの福井大樹です。

二月に入り、春の訪れが近づいていると、少し感じられるようになりましたね。

さて毎年2月は明治安田生命が、新年度から社会人となる人たちにアンケートを実施して「理想の上司」についての結果を発表しています。

その内容は、端的に言うと、”テレビ等で露出が多い”有名人が選出された結果でした…。

まだ社会に出る前の若い人たちの意見を集めると、致し方ないところがあるな、といった感じでした…。

ですが仮に自分自身が、後輩や部下を従えて行動するとなったら、”こうありたい”と思える人物-見本となる人物像-を持つことは良いのかもしれませんね。

事前に面識もそのお方の詳しい情報もない事をお伝えして、私見を披露しますと、私の”理想の上司”というか、一つの参考例としていいなぁ、と思える人物がいます。

藤田元司さんという方をご存知ですか!?

かつて読売ジャイアンツのエースで、ピッチングコーチを経験した後、ジャイアンツの監督を二度に渡り歴任し、セリーグ優勝4度、日本一に2度輝いた名将と称えられる方です。

残念ながら今から16年前の2月に心不全により亡くなられていますが、今でも現役のジャイアンツの監督である原辰徳監督から慕われていたり、いわゆる”ナガシマ派閥”の中畑清さんからも感謝されていたり、そして監督就任と共にその素質を見出され、盗塁王となった緒方耕一さんは、尊敬の念から藤田さんが着けられていた「73」番の背番号を継承されたりと、読売ジャイアンツのOBの多くの方々から慕われている人物です…。

どこに「上司」としての”理想と参考”があるのかというと、かつてのジャイアンツの選手たちの起用法の中にあります。

通算180勝を上げ、今では立派に「平成の大投手」といわれる斎藤雅樹さんは、藤田元司さんが二度目の監督に就任する前までの、前任の王貞治監督の指揮下では、少しでもピンチになるとすぐに交代させられて、1軍と2軍を行ったり来たりをさせられていた投手でした。

ですからピンチになるとすぐに自軍ベンチを気にして、”いつ代えられる”かを気にしてしまう「ノミの心臓」と揶揄される気弱なピッチャーでしたが、藤田元司さんはそんな斎藤投手を…、

「お前は気が弱いんじゃない!優しいだけなんだ!」

と鼓舞して、ピンチを迎えたとしても平然とベンチで腕組みをして、投手交代をするようなそぶりを見せず、その局面を斎藤投手に任せたそうです。

その期待と信頼に応える形で斎藤投手は、11試合連続完投勝利という日本記録を達成し、押しも押されぬジャイアンツのエースへと成長したのでした。

また、中畑清さんは、長嶋茂雄さんが現役引退直後に監督に就任し、6年に渡り「1次政権」を築いた時代に、猛練習の果てにようやくサードのレギュラーを勝ち取った内野手でしたが、昭和55年のドラフトにより、東海大学から大型内野手として、原辰徳選手(現読売ジャイアンツ監督)が入団してきたことにより、そのポジションを明け渡さなくてはいけないといった世間の風潮に晒されていました…。

ですが、その当時の長嶋茂雄前監督が解任され、後任として監督に就いた藤田元司さんは…、

「原君が入団するからと言って、死に物狂いでサードのポジションを掴んだ中畑に、すぐにどいてくれなんて言うのは失礼だ。基本的に巨人のサードは中畑でいく!原君にはセカンドに挑戦してもらう!」

と、周囲の声には耳を貸さなかったそうです。結果的に昭和56年の開幕戦のスタメンは、中畑清選手が従来通りのサードのポジション。新人の原辰徳選手がセカンドのスタメンという形になりました。(シーズン途中に中畑選手が怪我により離脱したために、その穴を埋めるべく原選手がサードにコンバートされ、セカンドには篠塚利夫選手が入り、中畑選手は復帰後はファーストのポジションに入りました)

また、チーム全体が負けが混んできたことにより停滞した雰囲気になっていた際には、全体ミーティングの際に、”吊るし上げ”にあったそうなのですが、ミーティング後に監督室に呼ばれ、その”吊るし上げ”に対して謝罪されたそうです!?

理由は、若手の士気を上げるために、あえて中心人物であった中畑さんを叱って、若手選手たちに奮起を促す目的だったと説明を受けたとの事でした。

その姿勢に感化された中畑さんは、長嶋茂雄さんを”オヤジ”と呼んで慕うほどの”ナガシマ派閥”でありながら、チームの柱として全力でプレーを心掛けたそうです…。

更には、リリーフ投手として活躍した角三男さんは、藤田元司さんの飾らない人柄や選手に対しての姿勢について、お話されていたことがありました…。

それまでのジャイアンツの監督の長嶋茂雄さんは、選手サロンでは食事を摂らず別室でコーチ陣と食事を摂っていたために選手と首脳陣に「距離」を感じていたそうです。ですが藤田監督は選手たちと同じ場所で、同じ食事を摂り、「威厳」は持ちつつも気さくに話しかけられる雰囲気を持った「親近感」を感じさせる人物だったそうです。(これとは反対に、中日ドラゴンズで監督をされていた落合博満さんは、食事の時ぐらいは選手たちにリラックスしてもらうために、敢えて別室で食事を済ましていたそうです)

その親近感とは対照的に、チームが連敗し、選手たちの士気が下がっていると診るや、雨が降りしきる中でも選手たちに全体練習を課したそうです。

当然選手たちからは反発が起こりますが、それでも鬼の形相で練習をさせるのでした。

その際選手たちが雨に晒されずぶ濡れになりながらランニングをしている脇で、自分自身も雨に打ち付けられながら、選手たちの練習風景を見守っていたそうです…。

藤田さんがこの頃から心臓に持病を抱えているのは周知の事実で、その姿に心配する選手や首脳陣もいたのですが…、

「選手たちがずぶ濡れになって練習をしている中、独りのうのうと雨風に晒されない場所にいる訳にはいかない!練習が終わるまで、ここで見届ける!」

と、練習が終了するまで、選手たちと一緒に雨風に晒されていたそうです…。

そして最後に挙げる逸話としては、平成2年の日本シリーズにおいて、パリーグ覇者の西武ライオンズと日本シリーズを戦うものの、一矢も報いる事が出来ず4連敗を喫し、日本一の座を明け渡してしまっての敗者の弁として…、

「監督がへぼだから負けたんです…」

と、選手たちを一切責めずに、負けを認めたのでした…。

まだまだ多くのジャイアンツOBの方々の逸話はあるそうですが、キリがありませんからこの辺にしておきます。

こういったエピソードから、藤田元司さんの”指導者”としての姿が解ります…。

プロ野球の世界とはいえ、私たちにも学ぶものがあると感じるんですね。

今年のプロ野球は、北海道日本ハムファイターズに、”ビッグボス”こと新庄剛志さんが監督に就任しました。

今のところ今までにない指導法やパフォーマンスで、注目を集めています!

果たして今年の北海道日本ハムファイターズはどういったチームへと変わるんでしょうね…!?(笑)

最後に蛇足ですが、もう一人、個人的に”こんな上司”がいたらなぁ、と思える人物がいます!(笑)

フィクションの世界ですが、昭和の刑事ドラマ「あぶない刑事」の中に登場する、中条静夫さん(故人)演じる神奈川県警横浜港署の刑事課課長の近藤課長です!(笑)

普段は自身の席に腰かけ、お茶をすすりながらデスクワークをこなすだけで、部下である舘ひろしさん演じる鷹山刑事こと「タカ」と、柴田恭兵さん演じる大下刑事こと「ユージ」が失敗をすると…、

「大バカもの~!」

と叱り飛ばし、説教を食らわせるのですが、いざ大事な場面においては自ら最前線に赴き指揮を執り、部下たちの判断に任せる時は、部下たちの判断を信じ、じっと状況を見守る姿勢を見せます…。

まぁ、亡くなられた中条静夫さんの風貌がいかにも”オヤジ”的なので、父性を感じさせるんでしょうね。(笑)

あくまでもフィクションの世界への憧れと思っていただいて、笑っていただければと思います…。(笑)