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2021.07.30

今朝の出来事…

こんにちは、営業スタッフの福井大樹です。


あいかわらず暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか…!?


今日は同僚の廣本がブログ作成を行うかと思うのですが、私からも思いの発信をしたいと思いまして投稿したいと思います。


私は自宅がある京都市から近鉄電車を利用しまして通勤しているのですが、本日の朝、乗換駅にもうすぐ到着するという時に、その乗換駅構内にて人身事故が発生し、乗車していた電車が停車してしまい、車両の中に約90分間閉じ込められてしまいました…。


もちろん営業開始時間には間に合わず、同僚の廣本が独りご来店されたお客様の対応に追われていた中を出勤し、急いで着替えた後、業務に就いたという1日の始まりでした。


この投稿を作成している現時点(18時頃)において、今朝の人身事故に関しての情報は入ってきていないのですが、ツイッター等の書き込みをみてみますと、50代ぐらいの男性が急行電車に身を投げたらしい等の情報が錯綜しております…。


この人身事故に関して、私は残念ですし、表現はきついですが、憤りすら感じました。


人身事故が起こった駅は、近鉄電車においては奈良県内において最大のターミナル駅です。この駅のダイヤが乱れれば、大阪難波・兵庫県の尼崎方面、京都方面、そして奈良県中部の大和八木、桜井、大和高田方面、更には三重、名古屋方面等、あらゆる沿線へ多大な影響を及ぼしてしまします。


加えて乗車していた車両に閉じ込められた際に、他の乗客の様子を視てみましたら、仕事の予定が狂いイライラしているビジネスマン、空調の冷風に当たり過ぎて調子を崩したように見える女性、更には夏休みに入っていますが部活動のために登校しようとしている高校生たちがうんざりした面持ちでスマートフォンをいじっていたりした様子を見せていました。


また、親御さんに連れられてどこか行楽地に向かうところだったのでしょうか!?小さな小学校低学年の子供たちも、退屈そうな表情でした…。


早まった行いの結果、多くの人たちの行動、大きく言えば生活や人生に影響を与えてしまいます。もしかしたらこのアクシデントにより、人生が狂わされてしまった人もいるかもしれません!


それだけではありません。ホームに入ってきた電車に飛び込んだ光景を目撃してしまった人には、ずっとトラウマとしてその光景は残ってしまします。見ず知らずの人の心まで傷つけてしまっているかもしれないのです。


いつ寿命が尽きるかは判りませんが、命は粗末には扱ってほしくはないんです!



自分は一瞬の痛みを耐えれば、あとは楽になれるかもしれませんが、残された家族や友人・知人・同僚たちは、どんな想いを抱くでしょうか!?


自ら命を投げる度胸があるのであれば、”苦境”から逃げ出せばいいのです!


以前情報番組で、タレントのヒロミさんが、過労により自殺の道を選んだ会社員についてコメントを述べられていましたが、この仕事しかないと思ってしまうから苦しくなるんだ、目線を変えればいくらでもやり直す選択肢は見つけられるんだから、家族を悲しませる行いは選んではだめだ、といった内容のコメントを述べられていました。

俺(わたし)にはこの仕事しかないんだ、といった覚悟・意気込みは大事だと思います。むしろ私たちのようにスタートしたばかりの会社の人間は、その意気込みで仕事に取り組むことが大事だと思うんです。


ただ、体も精神(こころ)もボロボロになるようなら、”逃げ出し”て、やり直せばいいんです。


知識が浅はかで恐縮ですが、宮本武蔵は無敗神話を持っているそうです。ただその背景には、自分より強い相手とは戦わなかった、といった選択肢があったそうですよ!?つまり”逃げる”ことも兵法の一つだったようです…。


話は変わりますが、先日7月25日の日曜日に、故郷の友人と共に、4年前のこの7月に他界した友人の墓参りに行ってきました。


遺族のご婦人やご子息に、無用な負担をかけたくはないので、その幼なじみと2人で、遺族には黙って静かに墓参を毎年行っています。


4年前に他界したその友人と、墓参に一緒に赴く友人とは、3人とも幼稚園からの付き合いがありました。


それぞれが家庭を築き、それぞれの人生を歩んでいましたので、大人になってからはなかなか揃って顔を合わせる事は出来ませんでしたが、それでもタイミングが合えば、昨日も会っていたような感じで会話を交わせる関係でした。


4年前の7月下旬、スーパーで買い物をしていた時にスマホが鳴り、その他界した友人からの着信がありました。しかし声の主は彼の妹からであり、事情を聴くとその日に兄である友人は他界したとの報せでした…。そして通夜と葬儀の日程を教えてくれ、ぜひ最後の別れをして欲しいといった旨でした…。


その知らせを受け取った後、急ぎ一緒に墓参している友人に私から事情を話し、確か週末土曜日の通夜と翌日日曜日の葬儀に参列しようと連絡しました。


通夜と葬儀両日ともに、棺に入った亡くなった友人の顔を拝みましたが、死に化粧を施されていてきれいにはされていたものの、とても安らかに眠っているとは思えませんでした。まだまだやりたいことがあり、息子たちの成長を見届けられず無念の表情を浮かべているように、私には思えました。


命あっての物種、人は死んだらそれで何もかもがお終い…。


この経験があるからこそ、私は与えられた命は自ら絶ってはいけないと思うんです。


戦乱時代や戦時中のように、自決を美化するような時代ではありません。どんなにカッコ悪くても、泥だらけでも、一生懸命に生きていれば、打開策、もっと小さな表現を使えば、”逃げ道”はあるはずです。


以前の投稿でも書いたと思うのですが、自分の人生は自分の物であって、自分だけの物ではありません!


自分の周りには、様々な人たちが取り巻いているのです。


だからこそ自分の存在をもっと大事にして欲しいですね…。