2021.07.26
オリンピック開催で思う事…
みなさんこんにちは。営業スタッフの福井大樹です。
どうしてこんなに暑いのでしょうね…!?(笑)
先週のお話ですが、エアコンを点けずに床に就きましたら、あまりの暑さに明け方の5時前に目が覚めてしまいました!?
やはり電気代は気になるかもしれませんが、冷やし過ぎない程度にエアコンを点けて休まれるのが、この時期はいいみたいですね。
さて、色々なゴタゴタが開会直前になって露わになった東京オリンピック2020ですが、賛否両論があるなか先週から開催されています。
開催前までの、あくまで個人の見解ですが、ある意味強行するような感じが見受けられる開催には疑問がありました。国民や各国の参加選手たちの命や健康を守ることを考えるなら、あえて開催する必要はなく、もう中止でいいのではないかと思っていましたが、柔道男子60kg級で金メダルを手にした高藤直寿選手の涙のインタビューを観ましたら、どんな形であれ開催されて競技が出来るこの状況は、各国の選手たちにとってはそこに至るまでの努力、苦労、犠牲等が報われるために必要な選択肢なのだなと思いました。
パラリンピックを含め、全日程が無事に終了する事を祈ります。
ただ、今回のオリンピック開催までには、何と色んなアクシデントが起こったことでしょう…!?
その中で開会式の楽曲担当のミュージシャンの方が、開会直前になって辞任され、制作した楽曲が使用中止となりました。辞任の理由は、過去の雑誌インタビューの記事の中で、障害者へのいじめを告白していたり、入院中に亡くなられた方の尊厳を冒涜するような振る舞いを面白おかしく告白したりと、到底オリンピックに携わる立場の人間としては相応しくない過去を持っていたためです。
この件に関して、焦点をずらして私が感じたことを今回はお伝えしたいと思います。そしてこの投稿をご覧になった方には様々なご意見を持っていただけたらな、とも思います…。
その当時の時代を振り返ってみますと、世にいう”バブル景気”が崩壊し、阪神・淡路大震災が起こり、更には地下鉄サリン事件が発生し、折しも戦後50年が経過した頃でしたので、盛んに戦後の日本の歩みについて議論されていた、少し混迷しているような時代でもありました…。
これから述べる意見はあくまで私見ですが、この時代は振り返ってみますと、どことなく世間全体が焦燥感に駆られていた時代のように感じていました…。
当時は他人(ひと)と違うことをするのが新しい価値観であり、奇をてらったことをするのがカッコいい、他人と違う価値観を持ち、他人と違う生き方をするのがいい、という風潮が感じられました。しかし半面、周囲の人間のコミュニティーに属していないと不安を覚え、一般的な価値観を完全に拒んだ生き方はしたくない、といったアンビバレントな一面を、特に若い世代は持っていたように感じました。要は世間全体に、承認欲求の感情が溢れていたという風に感じるのです。
こんな時代だからこそ、自分自身の存在の誇示のために、ある種歪んだというか、ずれた考え方で生きる人間が多かったのではないかとも思うのです…。
そういった風潮の中で、自分自身は手を下していないけど、いじめの企ては自分が考えた、といった体験談をなんの罪悪感もなく告白できてしまったのではないかと思いますし、入院中のエピソードでは夜中にもかかわらずギターを弾きならして、看護師さんに注意されたにもかかわらず無視して騒ぎまくって楽しんだ話をしたり、隣室で痛みに苦しむ入院患者さんの呻き声を、臨終間際の断末魔を聞けたと、面白おかしく話すことが、話題豊富なアーティストだと勘違いしていたのではないでしょうか!?
更に脱線話をしますと、あるアイドルグループのプロデューサーで、声帯を摘出し声を失ったものの、ハワイに生活と仕事の拠点を移し精力的に今も活動されている関西出身のミュージシャンの方がおられます。声帯を摘出したのは、仕事より家族との時間を選んだ、との理由で、今では世間一般や芸能界、更には母校では、ある種英雄視されている方です。
私はこの方の(その当時の)仕事の考え方は好きではないんです。理由は2つ。1つは売れれば、何でもええねん!という発想を持っていたこと。(もちろん生活をかけて仕事をするわけですから、売れるに越したことはないのですよ)2つ目は、指導していた(プロデュースしていた)アイドルの子たちの人間教育があまりされているようには感じられなかったこと。その子たちの中にはまっとうに成長し現在でも芸能界で活躍する人たちもいますが、過去には未成年にもかかわらず喫煙行為を繰り返してた子がいたり、パートナーを裏切るような不貞行為を平然と自宅で行っていたり、はたまた人身事故を起こしたにもかかわらず逃走してしまうような子がいたり、と…。アイドルとして、芸能人として、更には影響が大きい有名人として生きていく上で、どう生きていけばいいかを、芸能界の親代わりにきちんと伝えられていたのかな、と思うのです。
ここでも何か承認欲求のために、何か焦燥感にかられた生き方をしていたようにも感じられるのです。
辞任されたミュージシャンの方も、このアイドルグループのプロデューサーだった方も、この焦燥感溢れるように感じた時代は、20代の才能あふれる若者でした。きっと一般の私たち同様、注目されたい(売れたい)という欲求に支配されながら、その当時を生きていたんじゃないかなとも思います。
話はかなり逸れましたが、時代は色々な波が押し寄せるものだと思います。
その中で自分の立ち位置というか、物事の捉え方を常に考えながら物事に取り組んだりするのが大事なのではないかなぁ、と感じるのです…。皆さんはどうでしょうか!?
ちなみに人間は失敗する生き物です。犯した過ちをいつまでも断罪するのは、よくないと思います。今回過去の過ちにより、辞任された方にも”セカンドチャンス”は与えるべきだとも思います…。
どうしてこんなに暑いのでしょうね…!?(笑)
先週のお話ですが、エアコンを点けずに床に就きましたら、あまりの暑さに明け方の5時前に目が覚めてしまいました!?
やはり電気代は気になるかもしれませんが、冷やし過ぎない程度にエアコンを点けて休まれるのが、この時期はいいみたいですね。
さて、色々なゴタゴタが開会直前になって露わになった東京オリンピック2020ですが、賛否両論があるなか先週から開催されています。
開催前までの、あくまで個人の見解ですが、ある意味強行するような感じが見受けられる開催には疑問がありました。国民や各国の参加選手たちの命や健康を守ることを考えるなら、あえて開催する必要はなく、もう中止でいいのではないかと思っていましたが、柔道男子60kg級で金メダルを手にした高藤直寿選手の涙のインタビューを観ましたら、どんな形であれ開催されて競技が出来るこの状況は、各国の選手たちにとってはそこに至るまでの努力、苦労、犠牲等が報われるために必要な選択肢なのだなと思いました。
パラリンピックを含め、全日程が無事に終了する事を祈ります。
ただ、今回のオリンピック開催までには、何と色んなアクシデントが起こったことでしょう…!?
その中で開会式の楽曲担当のミュージシャンの方が、開会直前になって辞任され、制作した楽曲が使用中止となりました。辞任の理由は、過去の雑誌インタビューの記事の中で、障害者へのいじめを告白していたり、入院中に亡くなられた方の尊厳を冒涜するような振る舞いを面白おかしく告白したりと、到底オリンピックに携わる立場の人間としては相応しくない過去を持っていたためです。
この件に関して、焦点をずらして私が感じたことを今回はお伝えしたいと思います。そしてこの投稿をご覧になった方には様々なご意見を持っていただけたらな、とも思います…。
その当時の時代を振り返ってみますと、世にいう”バブル景気”が崩壊し、阪神・淡路大震災が起こり、更には地下鉄サリン事件が発生し、折しも戦後50年が経過した頃でしたので、盛んに戦後の日本の歩みについて議論されていた、少し混迷しているような時代でもありました…。
これから述べる意見はあくまで私見ですが、この時代は振り返ってみますと、どことなく世間全体が焦燥感に駆られていた時代のように感じていました…。
当時は他人(ひと)と違うことをするのが新しい価値観であり、奇をてらったことをするのがカッコいい、他人と違う価値観を持ち、他人と違う生き方をするのがいい、という風潮が感じられました。しかし半面、周囲の人間のコミュニティーに属していないと不安を覚え、一般的な価値観を完全に拒んだ生き方はしたくない、といったアンビバレントな一面を、特に若い世代は持っていたように感じました。要は世間全体に、承認欲求の感情が溢れていたという風に感じるのです。
こんな時代だからこそ、自分自身の存在の誇示のために、ある種歪んだというか、ずれた考え方で生きる人間が多かったのではないかとも思うのです…。
そういった風潮の中で、自分自身は手を下していないけど、いじめの企ては自分が考えた、といった体験談をなんの罪悪感もなく告白できてしまったのではないかと思いますし、入院中のエピソードでは夜中にもかかわらずギターを弾きならして、看護師さんに注意されたにもかかわらず無視して騒ぎまくって楽しんだ話をしたり、隣室で痛みに苦しむ入院患者さんの呻き声を、臨終間際の断末魔を聞けたと、面白おかしく話すことが、話題豊富なアーティストだと勘違いしていたのではないでしょうか!?
更に脱線話をしますと、あるアイドルグループのプロデューサーで、声帯を摘出し声を失ったものの、ハワイに生活と仕事の拠点を移し精力的に今も活動されている関西出身のミュージシャンの方がおられます。声帯を摘出したのは、仕事より家族との時間を選んだ、との理由で、今では世間一般や芸能界、更には母校では、ある種英雄視されている方です。
私はこの方の(その当時の)仕事の考え方は好きではないんです。理由は2つ。1つは売れれば、何でもええねん!という発想を持っていたこと。(もちろん生活をかけて仕事をするわけですから、売れるに越したことはないのですよ)2つ目は、指導していた(プロデュースしていた)アイドルの子たちの人間教育があまりされているようには感じられなかったこと。その子たちの中にはまっとうに成長し現在でも芸能界で活躍する人たちもいますが、過去には未成年にもかかわらず喫煙行為を繰り返してた子がいたり、パートナーを裏切るような不貞行為を平然と自宅で行っていたり、はたまた人身事故を起こしたにもかかわらず逃走してしまうような子がいたり、と…。アイドルとして、芸能人として、更には影響が大きい有名人として生きていく上で、どう生きていけばいいかを、芸能界の親代わりにきちんと伝えられていたのかな、と思うのです。
ここでも何か承認欲求のために、何か焦燥感にかられた生き方をしていたようにも感じられるのです。
辞任されたミュージシャンの方も、このアイドルグループのプロデューサーだった方も、この焦燥感溢れるように感じた時代は、20代の才能あふれる若者でした。きっと一般の私たち同様、注目されたい(売れたい)という欲求に支配されながら、その当時を生きていたんじゃないかなとも思います。
話はかなり逸れましたが、時代は色々な波が押し寄せるものだと思います。
その中で自分の立ち位置というか、物事の捉え方を常に考えながら物事に取り組んだりするのが大事なのではないかなぁ、と感じるのです…。皆さんはどうでしょうか!?
ちなみに人間は失敗する生き物です。犯した過ちをいつまでも断罪するのは、よくないと思います。今回過去の過ちにより、辞任された方にも”セカンドチャンス”は与えるべきだとも思います…。